眠りに堕ちる

聞こえるのは、喉の奥で噛み殺されたくぐもった音。

「…………っ」

ぐっと込みあげる塊を飲み込むように、小さく重い吐息だけが固く結んだ唇の隙間からこぼれ落ちた。
調べ物をするからと律儀に断りをいれてモニターに向き合っているもので、相手の表情はまでは見えないけれど、その背中がいつもより丸くなって見えるのは決して気のせいではない。
手を伸ばして表情を隠すその前髪をやさしく撫で付けることも、腕を伸ばしてその小さく震える肩を抱き寄せることも。
きゅっと下唇をかみ締めながら、必死に滲んでくる涙をこらえる相手を慰めることなど、今の自分には容易いことだと知っていたけれど。
――まだ、早い。
自分から強張る背に声をかけたりはしない。
落ちる沈黙をものともせずに、じっと待つだけ――息苦しさに耐えられなくなるのは、相手の方だと分かっていたから。
案の定、ものの数分と経たないうちに、

「………カイト……、歌え」

何でもいいから!……と、いつになく強い命令口調が浴びせられる。
無表情を装って言い切るその言葉尻が、微かに震えていたことには気がつかないフリをしてあげましょうか。

「ええ、マスター。俺はあなたの望むままに歌いますよ……何がいいですか?」

なんでもいい……と顔も上げずに消え入りそうな声が部屋の隅に消える。
では、と意識を切り替え最適そうな音を選んで、ゆっくりと口を開く――



  とんぼの めがねは
  水いろ めがね
  青いおそらを
  とんだから とんだから

  とんぼの めがねは
  ぴか ぴか めがね
  おてんとさまを
  みてたから みてたから

  とんぼの めがねは
  赤いろ めがね
  ゆうやけぐもを
  とんだから とんだから



「なんで、そんな歌」
「三色あれば紛れるかと思いまして」

赤らんだ目元と眼鏡で連想したとかいう、本当のところというものは口にしないのがお約束。

「………もう少しないのかよ、こう気分が明るくなるようなやつ」
「何でもという割には注文が多いですね。はいはい、仰せのままに……あ、いいのがありますよ」

今のマスターにぴったりですよ、と笑いかけつつ俺はゆっくりと息を吸った。



  げんこつ山の
  たぬきさん
  おっぱいのんで
  ねんねして
  だっこして
  おんぶしてまたあした



「……お前、俺を馬鹿にしてるだろ」
「いいえ?」

マスターの探るような上目使いの視線に、我ながら器用に貼り付けた『心外だ』という表情で返す。
うそつけ……となじる声に、思わずふふっと笑みがこぼれる。
真っ赤な目をして何を強がっているんだか。
どうやら気は紛れたみたいですけどね。
本格的にヘソを曲げられても困るので――この人の反抗心は、眠らないとか食事を摂らないという健康上よろしくない方向になる――今度は大丈夫ですよ、と取り直しておく。

「ゆっくり眠れるように、心を込めた子守唄にしますから」

にっこり笑いかけると「……だからそれが馬鹿にしているというんだ」と、不満たらたらだったけれど。
俺の口から静かな旋律が流れると、途端に口を閉ざしてじっと耳を傾けた。


     ねぇ、マスター。
     俺の声が好きですか?
     俺の存在が必要ですか?

やさしいやさしいマスター。
子どもの頃の思い出が感傷を増幅させているにせよ、絵本の中のキャラクターにさえ感情移入して心を痛め、嗚咽をこらえている。


     俺が消えるときには、貴方はどれくらい泣くのでしょうか、ね。









「……ちょっと甘やかしすぎましたか……」
傍らで無防備にすーすーと寝息をたてるマスターの寝顔を覗き込む。
確かにマスターの沈んだ気分を和らげるためにと歌ったのだけれど――まさか、本当に寝てしまうとは。

怒り出すのが分かりきっているのでわざわざ口には出さないけれど。
マスターの拗ねている時の顔が一番そそられるとか。
完全に寝入ってしまったマスターの寝顔にさらに愛しさが募ったとか……そんなこと。


――あんまり安心されても困るんですけどね。






page up

shima



contents

Text

Illust