声にならない
「ねぇ、彼、怒ってるの? あたしなんかしたかなぁ」
無邪気といえば聞こえはいいが、全く空気を読まない無責任に言い放たれた発言に、ずしんと空気が重くなった。
本人は声を潜めているつもりなんだろうが、あいにく静まり返った高校の図書館とかいう一種独特の空気の中では、女性特有のキーの高音が目立つことこのうえない。
俺の隣にすわっていた男の気配が、不機嫌色に包まれるのが見なくても手に取るように分かる。
――別に何も考えてなかっただけだろうになぁ……。
俺は小さく苦笑しながら「そんなことないよ」と彼女に向かって答えて見せた。
が、あからさまに眉をしかめて顔をそむけてしまった彼の態度の前では、妙に言葉が浮いてしまっている。
一応ここで、一番の友人……ということになっている彼のかわりに説明するならば。
俺とアイツが「次の曲はどんな雰囲気にしようか」と打ち合わせをしているところに、「男同士でなにコソコソしてんの~?」なんて突然声をかけてきたのは彼女の方なのだ。
好奇心なのか何なのかはよくわからないけれど――たぶん、深い意味はなかったんだろうが――無遠慮に話しに割り込んできた彼女に対して、ヤツは全然ちっとも怒っていやしなかった。
むしろ、単なるクラスメイトにしか過ぎない彼女が何のようだと疎ましく思ったのは俺の方で……けれど悲しいかな。
ソツなく相手をしてしまう無駄な社交性の高さが勝手に発動してしまい。
「あー、最近出たあのCDの曲がいいよなって話をしててさ」
「あ、あたしもあれ好き~。いいよね、なんか切なくなる感じがきゅんとしちゃう」
……などと思わず話を合わせてしまった自分がいた。
人と話すことが苦手なアイツは俺たちの会話を黙って聞いているだけだったが、決して不機嫌なわけではなかったのだ。
が、これもまたよくあることなのだが、ずっと黙ったままのヤツの存在が彼女にとって奇異に映ったらしい。
彼の無表情で口元をいつも真一文字に結んだかのような仏頂面がデフォルトなだけなんだが……それをほぼ初対面に近い相手に解れというほうが無謀なのか。
ただひとつ確実なのは、彼女の「怒っているのか」発言で、決定的にヤツを怒らせてしまったということだ。
「……帰る」
ぼそり、と呟いて立ち上がるアイツ。
そのままくるりと踵を返し出口に向かって歩き出そうとした相手の口から、ぐえ、と奇妙な音がこぼれた。
当然だ、俺が彼の首元をつかんで離さないのだから。
彼がどういうつもりだと睨みつけてくる視線を感じていたが、いちいちキニシテいられない。
ぐっと首元をつかんだ手に力をこめる。
逃がしてたまるか。
「悪いんだけどさ、俺たちちょーっと内緒の相談の続きがあるんだ」
唖然とした彼女に向かってにっこり笑いかけると、さすがに完全に空気が読めないほど鈍くはなかったらしい。
「あ……うん、ごめんね邪魔して」……と口にする彼女に、ソンナコトナイヨとお決まりの言葉を口にのせて爽やかにご退場願う。
もちろん――邪魔なんだよ……というのは心の中だけで。
「お前な……もうちょっと愛想良くしないと、友達が増えないぞ?」
今日はやめたと不貞腐れる彼をなだめつつ、一通り打ち合わせを終えて図書館を出た帰り道。
もっともらしく説教じみた言葉を吐いた俺にむかって、彼はぎゅっと眉をしかめてよこす。
思い当たる節が多すぎるんだろう。
何か言い返そうと口を開きかけては止めてと繰り返す相手の仕草に、思わず笑みを誘われる。
こういうところが本当に不器用で素直で可愛いんだと、口にすれば確実に怒るに違いない。
本当に、白々しいと思う。
彼の周りに、誰も近づかないように仕向けているのは自分なのに。
「……別に……」
むすっとした顔のままで、ようやく彼がぽつりと呟いた。
――お前さえいればいい。
「ばーか、そんなんだから彼女もできないんだよ」……と、笑ってヤツの頭を小突きながら軽く言葉を返した自分の役者っぷりと鉄壁の自制心を褒めたやりたい。
――この、無自覚天然タラシ属性め!
どんな殺し文句を口にしているのか、自分自身はこれっぽっちも気がついていないのだからたまったもんじゃない。
彼が言っているのは、自分と一緒に曲作りをしたいのだということは百も承知だったが、それ以上の感情をもてあまし気味の自分にとっては心臓に悪いことこの上ない。
……本当に、俺だけがお前の側にいられればいいのにな。
声にならない想いを、いつかは声にすることができるのだろうか――?
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